歴史と日常に学ぶ脅しの対応法(第2回)
戦国時代に見る 脅しに屈した人 反発した人 乗っかった人 かわした人
戦国時代の覇者と言えば徳川家康であろう。家康ともなれば脅しに屈することもなかったのではと思われる人が多いかもしれない。しかし現実は、家康も生き残るために脅しに対して最大の譲歩を経験している一人である。織田信長に謀反の容疑をかけられた際に、彼は正室築山殿を殺し、嫡男信康を自害させている。状況が厳しい中では相手からの脅しに対して、最悪の譲歩を強いられることも現実には起こってくるのである。
当然、家康自身も脅しを常に使っている。1600年9月15日の関ヶ原の合戦では石田三成率いる西軍と家康の東軍が一進一退の攻防を繰り広げていた。家康はどちらにつくか決めかねていた小早川秀秋に痺れを切らし、小早川が陣を引く松尾山に向かって威嚇射撃を行った。小早川はこの家康の威嚇射撃に動揺し、東軍に寝返ることを決め、約1万6千の兵を率いて、大谷吉継の陣に攻め込んだのである。これにより形勢は一気に東軍優勢となり、天下分け目の決戦は東軍勝利に終わったのである。これは脅しが非常に有効に効いた有名な話である。
関ヶ原の合戦以前にも多くの有力大名が家康の脅しに屈している。家康と共に五大老の座にあり、豊臣秀頼を守るべく尽力した前田利家の息子の前田利長もその一人である。利長は利家亡き後、家康の脅しに屈し、母親の芳春院を家康に人質として差し出し、東軍へ下っている。力関係が明らかな場合は脅しに屈しなければならないのが、世の必定とも言える。
しかし戦国時代、不利な状況下でも家康の脅しに屈しなかった人物もいる。2009年のNHK大河ドラマで取り上げられた上杉景勝、直江兼続である。家康からの謀反の言いがかりに対して、断固して反発し、家康を糾弾する書状を送りつけている(直江状)。これにより家康の上杉討伐が始まり関ヶ原の合戦に至るのであるが、上杉はあくまで徹底抗戦の構えを取り、上杉謙信から受け継いだ義の姿勢を貫いた。その結果関ヶ原の敗戦後米沢へ転封され、会津120万石から30万石へ転落したが、武勇の誉れを後世に残している。
また家康に脅される前に、うまく家康の勢いに乗っかった人物もいる。関ヶ原で大した武功も挙げていないのにもかかわらず、土佐20万石の大大名となった山内一豊である。掛川5万9千石からの大躍進であった。山内一豊は、家康が上方に兵を進めやすくするために、小山評定において自らの居城を家康に差し出す意志を表明したのである。自らの命とも言える城を戦う前にすべて差し出すことで、一気に14万石以上の加増を勝ち取った山内一豊は巧みな交渉者とも言える。
戦国時代で小国ながら、大国の脅しに屈せずうまくかわした武将としては真田昌幸が挙げられる。真田昌幸は特定の相手に依存しない状況をつくることで、脅しを乗り越えた。彼は真田幸隆の三男として生まれ、兄弟が共に長篠の戦いにおいて戦死したため真田家の家督を継いだ。その後、大国がしのぎを削る乱世の中で、見事に真田家を護っている。武田信玄と父幸隆から学び得た軍略によって、上田合戦において圧倒的多数の徳川軍を二度も撃退した武勇もさることながら武田、織田、北条、徳川、上杉、豊臣と主君を代えて見事に真田家を存続させた。最も有名な話は関ヶ原の戦いにおいて兄の信之を東軍につかせ、自らと次男の信繁は西軍につくという戦略を決行したことである。兄の信之は徳川四天王の一人本多忠勝の娘を妻として娶っており、徳川方の信頼を得ていた。結果として、東軍の勝利で、昌幸と幸村は九度山へ幽閉させられるが、信之の存在のお蔭で真田を継承することができ、また昌幸、幸村も死罪を免れ、信之からの支援を得ることができた。またその後昌幸は九度山で病没するが幸村は大坂の陣に参戦し、またここで真田の武勇を天下に大きく示している。真田家が大国の脅しに屈することなく、その家の存続と武勇を末代に残すことができたのはまさに昌幸の、選択肢を複数用意し、ひとつの大国の存在に依存しない戦略が功を奏した結果と言える。
日常生活にあふれる脅し
現代の生活の中でも脅しは私たちの周囲に常に存在している。クビを示唆しながら部下を叱る上司や叱るとすぐ泣く部下などもその例である。このような部下は泣くという行為を上司に対する心理的脅しとして使っているのである。
また、「限定100個販売」や「期間限定セール」がある。これも数量や期間を限定することにより、消費者に圧力をかける脅しである。あなた自身も無意識に他のだれかを脅していることに気づいているだろうか。「よい子にしていないとクリスマスプレゼントをサンタさんが持ってきてくれないよ」「……とかをしてくれないのなら、今度の旅行はやめようか」などの脅し文句を一度は口にしたことがあるのではないだろうか。一般的に脅しと言えば「振り込め詐欺」や、「地上げ屋」「暴力団による恐喝」といった極端に悪いイメージを連想させるものであることが多いが、実際はそういった極端なものだけではなく、程度の差はあれ、私たちの日常に普通に発生していることなのである。よって脅しにどう対応していけばよいのかを考えることは日々どう生きていけばよいのかを考えることと同一であると言っても過言ではないのだ。
そこで、本章では脅しに対する対応方法について考えてみたい。一口に対応方法と言っても、置かれた立場、状況、相手のタイプ、出方などによって変化する。しかし、大まかな傾向をつかみ、パターンに分類し、それぞれに適した対応策を考えることは、脅しへの対応の成功確率を上げる上で有効なものとなるだろう。まずは対応策をいくつかのカテゴリーに分けて考えていきたい。
最初に考えるべきことは脅しをかけてきている相手との関係を今後どのようにしたいのかという点である。これは大きく以下の3つに分けられる。
①継続していきたい、継続しなければならない状況に置かれている。
②今回の問題を解決することができれば、その後関係を切ることができる。
③今すぐ関係を切ることができる、現在もさほど深い関係ではなく、 影響も少ない。
③であれば脅されても焦る必要はなく、恨みを買わないレベルに徐々に相手をクールダウンしていけばよいだろう。このケースで注意したいのは感情的になることである。相手に威嚇され、気持ちが動揺し、本来巻き込まれる必要がない状況であるにもかかわらず、相手の術中にどんどんはめられていく人がいる。ここではあくまで冷静に判断し、巻き込まれる必要がないのであれば無視すればよいのである。ここは自らの感情のコントロール、自制が重要である。
②の場合は問題の重要性、影響度によるだろう。問題の重要性や影響度が低い場合は③の場合と同じように、恨みを買わないレベルで対応すればよいだろう。
少しずつ譲歩して、痛手の少ない範囲で妥結するのもひとつの道である。
厄介なのは、②の場合で問題の重要性や影響度が高い場合と、①の場合である。この状況は非常に厳しく、難しい対応となる。そのため相手との信頼関係を築きながら、何らかの問題が起こることも想定した上で、他の選択肢を持つ準備を水面化で進めておく必要があるだろう。
例えばあなたが自動車部品工場の社長だったとしよう。大手自動車メーカーA社との取引が増え、業績は上昇、A社サイドは注文を増やすことを前提として個別対応の要求を増やしてきている。この場合あなたならどうするだろうか。ここで多くの経営者はA社へ依存し、A社の要求に応える体制に自社のシステムをシフトしてしまうだろう。このことにより顧客も特定化され、営業コストもかからなくなるため、一見経営としては安定したかに思える。しかし、この状態に置かれることが実はもっとも危険なことなのである。A社は、主導権が握れる立場になった状況で、一転値引き交渉や無理難題を押しつけてくるかもしれない。これは暗に「おたくはうちとの取引があって成り立っている会社だ。もしうちの要求に応えられないのなら今後の発注をやめてもいいんだよ」という強烈な脅しを行っているのと同じことである。こうなってしまうともはや泣き寝入りするよりほかにない。その時になって相手のやり方を恨んだり、非難したりしても仕方がないのである。この場合、自分自身の脇の甘さを猛省するべきである。目先の利益に目がくらみ、相手の術中にはまってしまった自分の甘さが原因である。こういった経営者の脇の甘さが原因で、相手依存の、不条理で割の悪い経営を強いられている会社が沢山存在しているのも事実である。
それではどうすればよいのか。まずはA社に依存するのであれば、A社も自社に依存せざるを得ない状況を巧みに構築することである。要するにA社が自社との取引を解消した場合、A社の経営が大打撃を受ける構造をあらかじめ作っておく必要があるということである。自社の技術力がそのような位置づけであればベストである。また顧客の中に複数の味方を作っておくことも重要である。ベストな方法は相手には依存していると見せかけて、水面下で他の選択肢となる別の柱を構築していくことが重要である。相手との信頼関係を築きながら、脅しや裏切りに備えた他の選択肢を作ることが、脅しに対する対応策としては非常に重要なことである。相手が自分より大きい場合は決して手放しで相手に依存しない、他の選択肢を備えた上で依存姿勢を取ることが肝要なのである。
(以下、次号へ続く)